婆婆冰

翻訳者ーRie

 

民国20年代、婆婆冰の創業者 蔡趙固さんは、同じく澎湖出身の夫蔡淇昆さんと故郷の黑瀨潮(*1)を越えて、台湾へ新天地を求めて移住、高雄の鹽埕に根を下ろした。

まず自助餐(*2)から始まった

当初の生活は思い通りにはいかなかった。第二次世界大戦の空襲後、蔡淇昆さんは病気で床にふせり、蔡趙固さん若くして未亡人となった。ぎゃーぎゃーとわめく子供達も彼女のみが頼り、強い母親である固婆婆(*3)は命の限り頭を低くして働き、ご飯皿から(今の自助餐方式)売り出した。

隣人先生の解熱秘法

当時、屋台前でいつも老人が昔ながらのお菓子とスターフルーツジュースを売っていた。南部の灼熱、お腹を満たした後、甘い物で満足させたいという客で大人気だった。老人が引退する前に、引き継ぎがいなかったこともあり、老人は人生で磨いた技術のすべてを固婆婆へ託した。


時は熟し

民国23年、以前の野菜市場前に約3坪ほどの仮設建築で氷を売り始めた。名前は「新生號冰果店」。店内には小さなテーブルと椅子がいくつか用意し、プラム塩かき氷(李鹹冰)、あずき牛乳かき氷(紅豆牛乳冰)、スターフルーツジュース(楊桃湯)、紅茶から売り始めた。固婆婆の2人の子供達も幼い頃から母と共にかき氷界の海に入り、商売をしていくうちに、かき氷も人の枝葉を広げていき、「婆婆冰」は次男の蔡雄數さん、嫁の蔡王金さんに引き継がれた。現在、第3代目は創業店と旗艦店の2店舗に分かれ、1店舗は昔ながらの雰囲気を守り、もう一店舗は文青をイメージし、子供達と嫁達が支え合い、食材は共有準備をしたりと、愛情がつながっている。

プラム塩(李鹹)

看板メニューのプラム塩(李鹹)は、赤い果肉を取り出し、粗塩で塩漬けにする。その後、塩気を洗い流し、太陽の下で果肉から残留水分を飛ばす。砂糖と塩を使用し、砂糖漬けにすることで、新鮮度を長期保存でき、最後にゆっくりと時間をかけて貴重な赤いスープが滲み出てくる。近くの多くの港湾労働者達は、大量の汗をかくので、漬けられたプラムの果肉を食べることで、栄養補給に最適。当時から今に至るまで、この天日干し方法を守り続けられている。

 
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4種類のフルーツかき氷

4種類のフルーツかき氷は、プラム塩(李鹹)をはじめとし、他にスターフルーツ漬け、酸っぱい青マンゴーと新鮮な甘漬けパイナップルが入っている。果肉の組織を破壊し甘みを入れるため、風味出しなど全ての工程においてかなりの時間をかける。この店のプラム塩や4種類のフルーツかき氷は非常に人気があり、キーワードは最終工程。それはプラム果肉で作った赤いソースをかけること。これは昔ながらの手法だが、現在の台湾ではあまりみられない方法だ。

ミックス看板アイス

看板メニューのミックスかき氷は完璧な演出を施した芸術品。4種類のフルーツかき氷との違いは、小豆、緑豆、タロイモなどの8種類のトッピングをし、最後にドラゴンフルーツのジャムソースをかけること。夏限定マンゴー練乳かき氷や冬限定練乳苺かき氷など、海外からの観光客だけでなく、常連客の心も徹底的に満足させる。

* 1 黑瀨潮:波が非常に荒く渡るのが困難なことで有名な海峡
* 2 自助餐:台湾のバイキング式のレストラン
* 3 婆婆:おばあさんのこと。固婆婆=固おばあさん

 

婆婆冰創始老店

 

婆婆冰旗艦店